#ニコメド記事投稿祭
最近急にニコメド界隈に関わり始めて, まだろくに活動もしてないのにこんなに記事を書くことに罪悪感を感じ始めている。
Shinkyaraだ。
今日までにあげた記事では敬体を用いた。
が, この記事では一転して常体を用いる。句読点も付ける。了承願いたい。
1.ニコニコ∞アセンブルシリーズとShinkyara
FullKen氏によるニコニコメドレーの一つに
『ニコニコ∞アセンブルシリーズ』がある。
一般視聴者から曲を公募し, 作者のFullKen氏が構成・アレンジをして, ニコメドをつくるというものだ。
・・・。
私はこのニコニコ∞アセンブルシリーズに恩義を感じている。
なぜか?
それはこのニコニコ∞アセンブルシリーズが, ニコニコメドレーから完全に離れていた私を引き戻してくれたメドレーであるからだ。
ニコニコメドレーから離れていたことに関しては, 今は置いておく。
後述することとしよう。
私がFullKen氏を知ったのは2017年6月のことだ。
当時, Nintendo Switchの発売によってゲーム熱があたたまってきていた。
マリオ関連の動画をずっと漁り続けていたように覚えている。
一方, YouTuberの動画もこの頃から見始めていた。私はもちろんニコニコ動画が大好きなニコ厨だが, 正直な話, この頃はすっかり熱が冷めきっていた。
運営のせいというよりかは, 過度に運営を批判したりニコニコ動画の将来に悲観的な意見しか言わない他のニコニコユーザーとサイト全体の雰囲気にすっかり疲弊していた, からである。
さて, たまたまニコニコ動画でマリオ関連の動画を探していた時, 私は一つの動画に出会った。
なんだか懐かしい感覚を覚えた。
「ニコニコメドレー」…そんなのもあったな。
実はこれがFullKen氏を初めて知ったきっかけである。もしマリオに興味が無かったら, 今頃は完全にニコニコから離れていたかもしれない。
氏は他にもいろいろなニコニコメドレーを投稿していた。マリオカート64, カービィ64, マリカ1to8…どれもBGMが大好きなゲームだったので, メドレーはすんなり受け入れられた。
そのうちに, 氏がニコニコ∞アセンブルというメドレーを投稿していることを知った。
最初は聴く気が無かったが, そうやって聴かずに放置し続けて何日か経つと, 段々気になってくるのだ。
どんなニコメドなんだろうか。
聴いて見てもいいかもしれない。
案外悪くないかも…。
そして, アセンブルVol2を聴いた。
なぜVol1でないのかは知らない。たまたまVol2を先に聴いただけである。
これが, 私のニコメドクラスタへの第一歩となる, 革命的な出会いであったのだ。
人生史上最大の衝撃だった。
何が衝撃だったのかと言うと, 一言で言えば
「こんな(選曲の・アレンジの・構成の)ニコニコメドレーもあるの!?」
というものだった。すっかり裏を突かれたような感覚だ。
この時, 私にとってのニコニコメドレーの「パラダイム」が破壊された。そのことが同時に, ニコニコメドレーを再び聴くようになるきっかけをもたらしたわけだ。
さて, その「パラダイム」…要は, 私の中での常識のようなもの…だが, それはいったいどうなっていたのだろうか?
それを探っていくことにしよう。
2.Shinkyaraとニコニコメドレーの出会い
そもそも, 私とニコニコメドレーとの出会いはいつだったのだろうか?
私は2013年冬, 1月ごろにニコニコ動画を見始めた。
きっかけは覚えていない。
当時はQ時代だ。Q時代に登録したニコニコユーザーは, すでにニコニコ動画の歴史の半分を過ごしていることになるらしい。恐ろしい事実だ。
2013年に登録した当初は, 完全にゲーム実況やアニメしか見ていなかった。ニコニコの公式配信を通して, きんいろモザイクと, ダンガンロンパというアニメを見た。
2014年にMADというものを知る。
当時は, 野々村議員やSTAP細胞疑惑など, いわゆるキセキの世代が大ブームだったころで, 私もよくそれらを見ていた。
気づけば, その時からニコニコ運営とサイト全体に対し, 当たりの強い風潮が見られたような気がする。当時はさほど気にしなかったのだが。
転機が訪れたのは2015年。
きっかけはともかく, この時私はニコニコ動画の昔のコンテンツを知ることになる。
テニミュや陰陽師といったものの中に, ある動画があった。
言わずもがなこれだ。
と, いうわけで私のハジメテノメドレーは組曲『ニコニコ動画』だ。2015年の話だ。
2020年5月10日追記
めちゃくちゃ嘘ついてましたごめんなさい。
昔の資料が見つかったので内容を更新いたします。
本当に最初に聞いたニコニコメドレーは実はこれである。
「SUPER MARIO CEREMONY -The 30th Anniversary Medley-」である。マリオ生誕30周年に合わせて制作された合作である。
多分2014年頃にはすでに聴いていたと思われる。これは本当に自分に影響を与えた。
濃いサウンド, 愛にあふれた効果音に映像…と, 自分の過去に聞いたメドレーの中でもトップクラスといえるほどの出来だ。
自分の打ち込みは, これに加えて2013年, 2015年の合作で用いられたメドレー, としも氏のメドレーに相当影響されている。テストには出ないが覚えておこう。
おそらく「ニコニコメドレーシリーズ」を知ったのはその時ではないのだろうか。
ただ昔の自分はこれを見ることにしか興味がなく, しも氏のメドレーを知ることになるのはだいぶ後の話となってしまった。
そして話がもとに戻る…
------------------------------------------------
何となく, 私はしも氏のニコニコメドレーをあさりはじめた。
次第に, 組曲よりも気に入る作品が登場し始める。七色はこの時に好きになって, いまだに好きだ。おそらくずっと好きだと思う。
そして, 記憶があいまいなのでよく覚えてないが, 何となくこれらの作品群のような「ニコニコメドレー」と呼称されている動画群も, 私は次第にあさりはじめた。
3.ニコニコメドレーをよく見ていた時代①(2015-2016)
2015年を代表するニコニコメドレー, 読者は何を思い浮かべるか?
2015年ニコメド10選1位は, 8:51:22 pm氏の『ニコニコ動画のアチコチ』だった。
めだ氏の『ニコニコ動画摩天楼』は一時期荒れたものの100万再生に到達した。
この時期, 私が知っていたニコメド作者は4名しかいない。さーせん。
しも氏, ちゅるちん氏, シェア氏, いを氏の4名である。
ちゅるちん氏は原曲メドレーで知った。いまだにニコニコ動画で原曲メドレーといったらちゅるちん氏を思い浮かべるくらい, その印象は根強い。「NICONICO REFLECTION」「NICONICO IMAGINATION」をよく聴いていた。
シェア氏は「Nico☆Night Ride」で知った。氏の「Nico Loving」は, 今までに聴いたことのないやわらかい感じで非常に好きだった。
いを氏は「ニコニコ動画順風満帆」の作者だと認識していた。
順風満帆は, みくみく⇒Do-Dai繋ぎの部分がすごく好きだったが, 残念ながら旧版は現在視聴できないようだ。
そうしたメドレーを聴いているうちに, 時代は大きく変わっていく。
2015年, この年は某何とか兵氏によって, ニコニコ動画衰退運営責任論が強く主張され, 特にニコニコ動画の雰囲気が荒れ始めた1年だったと覚えている。
私が言いたいのは, 運営がとやかくとかニコニコがなんたらかんたら, ではない。
この流れによって, 特にニコニコ動画全体に「新参と古参が激しく対立する雰囲気」が見え始めた, ということである。
この当時, ニコニコ動画は非常に居づらい場所であった。
(自称)古参が新参と新しいコンテンツを排斥し始めたからだ。
特にニコニコメドレーにおいて, それは顕著であった。
ハニーワークスとか, ラブライブとか, そういった曲が採用されて流れると…
「は?」「いらね」
といったコメントが流れる。そして荒れる。辛い。
やがてニコニコメドレーにも, 懐古的な風潮が流れ始めてきた。ただでさえ過剰気味にも思える昔の曲が, より一層多くなる。
理由は「荒れないため」だ。
そうでなかったとしても, 私の目にはそう見えた。
特定の誰かを批判するわけではない。誰かを擁護するわけでもない。基本的にみんなそう見えた。*1
だが, 昔の曲ばっかりになると, 当然マンネリっぽくなる。
似たようなフレーズしか聴こえてこない。
似たような構成になりがち。
今回の記事投稿祭で言及した。
ニコニコメドレーというのは「一曲として編曲されるものだ」と。
あまりにも同じようなモノばかりだと, 果たして曲としての評価はどうなるだろうか。
2016年, ニコニコ動画10周年ということもあり, その流れはさらに加速していく。結果としてニコニコ動画十年祭は100万再生を突破するほどの人気を獲得するなど, ピークに達した懐古ブームはものすごい勢いを見せた。
…当時の私はそれがどうも不思議で, 嫌で仕方がなかった。
なぜ新参モノは嫌われるのか?
新しい文化はダメなのか?
なんでみんな懐古に走るのか?
最新の流行を知りたい。
もっと柔らかい言葉を使う人に会いたい。
そんなことを考えてるうちに, ニコニコメドレーは聴かなくなった。
多分, どこかで「ニコニコ動画とは, もうそういうものなんだ。ニコニコメドレーはそういった人たちのためのものなんだ」と落とし前を付けたのだろう。
たまたま, リアルでも精神的につらい時期だったため, ニコニコ動画からも遠ざかっていった。わがままでごめんね。
ただ二つ, わがままだったとしても主張したいことがある。
それは, とにかくこの時期のニコニコは非常に居づらい場所であったということ。
そしてその雰囲気醸成の要因の一つに, 少なからずニコメドがあったということ。
4.ニコニコメドレーをよく見ていた時代②(2017-2018)
自分勝手な, 非常に自分勝手な理由で, ニコメドには何も期待しなくなっていた。
そんな私はFullKen氏のニコニコ∞アセンブルシリーズをきっかけに
「もう一回聴いてみようかな」
と思い, 再びニコメドを聴き始めたのである。
ニコメドを離れたのは2016年12月頃。FullKen氏に出会ったのは2017年6月頃。
半年程度しか離れていないが, その時間は私にとってとても長く感じられた。
Vol.2は何度も聴いた。原曲再現がVol.1とVol.3は無いが, なぜかVol.2は存在したことも要因の一つだ。
もちろん他のものもたくさん聴いた。おすすめはVol.1とVol.5, Vol.8かなー?
やがて自分は「この企画に参加してみたい」と強く思うようになっていった。どうやら今はVol.11の募集をしているらしい。
書き込んでみた。ドキドキしてたまらなくなるのが感じ取れた。
他の人のリクエストも見てみた。あのちゅるちん氏も書き込んでいた。
他の人は全員普通のユーザーかー。結構人気のあるシリーズなんだなぁ。
そんなことを思いながら, Vol.11の投稿を待ち続けた。
2017年, ニコニコ動画にとっては最も厳しい1年となった。
11月*2に史上最大規模の大炎上を起こしたからだ。多くのニコニコ動画ユーザーはここで離れていった。
着目すべきは, ここで離れていったのは「新参」か「古参」かである。
おそらく古参であろう。
新参はこのころニコニコ動画に訪れなくなっていたことだろう。
だれもが「ニコニコ動画というコンテンツは廃れていく」そう思っていた。
ニコメドから話が逸れるが, ここでしか話せないような気がするので話しておく。
多分, 普通の動画サイトだったならば, ニコニコ動画はもっと早く終了していたと思う。ニコニコが生み出した数多くの文化も, もっと早く廃れていただろう。
だが, 生き延びた*3。
今私たちが見ているニコニコは, 生き延びた世界線のニコニコだ。
そして, なぜか奇跡的にも延命されたニコニコが, かつてのように様々な文化を生み出している…その光景をみるのが, 私は好きだ。
私は, 昔に縋るのではなく, 昔を踏襲しながら新しいモノを生み出すニコニコ動画であってほしいと願う。
2018年前半は, 特にニコメドを意識して聴くことは無かった。
しも氏のニコメドは聴けるようになったが, それでも新作メドレーに抵抗感は強かった。当時のニコニコメドレーとしては『ニコニコ動画クロス』や『ニコニコギガントゼイニー Extend Edition』などがあげられる。
実際に聞いたのは約1年後だった。どちらも素晴らしい名作である。聴いておけばよかったのに。
後半, 2018年12月12日にあるニコニコメドレーが投稿される。
これもまた私のニコメドに対する常識が覆されるものであった。
ユーザー情報非公開氏によって制作された『ニコニコ動画宝島』だ。
聴いて驚いた。
あの時とちがう。
選曲や構成が違う。
新しい感覚を感じる!
そうか, 今は新作メドレーでもこういうものが沢山あるんだな!
そう私は受け取った。
その時, 自分の中での常識が変わった。
「今はニコニコメドレーにも新参向けや無
名のも盛り込んだものが沢山あるんだ!」
こうして, 自分のなかで新作メドレーへの抵抗感は段々と消えていった。
5.ニコニコメドレーをよく見ていた時代③(2019-)
ちょっといろいろあってネットを詳しく見れていなかった2019年前半。
改元し, 時代は令和になった。
ニコメド界隈では, ニコメドDJMや駆け抜けるコラボレーションFINALなど, 数多くの企画が進行していた。駆け抜けるは私も当時知っていた。FullKen氏が構成担当であったからだ。この時同時に銀河P氏も知った。数々の企画を実行できる手腕が常人ではないな, と思っている。
2019年の私は, 夏に男尻祭を知った*4程度で終わるはずであった。
2019年の年末, きっかけは覚えていないが, ユーザー情報非公開氏のTwitterをフォローした。
ユーザー情報非公開氏は(個人的な印象だが)今まで見てきた「ニコニコにあたりが強く, 悲観的な人」ではなかった。
求めていた*5人が現れた, そんな気分だった。
しばらくたって, いろいろなメドレーの情報が流れ込んでくるようになった。
投稿直後に聴いたメドレーとしては, 実に4年ぶりだったこのニコメド。
SqOc氏による『最近好きな曲を繋げてメドレーにしてみた』である。新作メドレーを聴くという体験をひさびさにすることができた。
また, キットカットおいしい氏を初めて知った。
ニコパークの試聴版を聴いてみると, とても自分の好みだった。
「来年の4月あたりかぁ」と首を長くして待つことを決めた。
そして, 大みそかを前にしてこんなことを耳にするようになった。
「N+EVER!!よかったなー」
「今年の10選はN+EVER!!はいるだろ」
そういえばN+EVER!!ってメドレーがあるみたいだな。
聴かないのはもったいないし, 2019年最後に*6聴いて見ようか。
そう思ってメドレーを探し始めた。
「お, あったあった。」
聴いてみて, 今までにない衝撃を受けた。
ものすごく濃厚なシンセ音, 今までに聴いたことのない曲, 非常に秀逸な流れ…!
年末はずっとこれを聴いていた。
年越しをしてすぐの時間もこれを聴いていた。それくらい虜になったニコメドだ。
この2つのニコニコメドレーが, 私を本格的に「メドレークラスタ」として作りあげたといえる。
これ以降, 様々なニコメドを探すようになった。
ある一つのメドレーをもとに作られた様々な合作を比較した動画がTwitter上に回ってきた。
そのメドレー『otoMAD-synthesis.mid』もよく聴いた。
このメドレーの曲選は, 割とニコニコの音MAD関係の流行を抑えたものだったが, 私は2割程度しか知らなかった。
中には2015-2017年頃に流行った曲もあったが, 知らなかった。
他にも, シンス合作のひとつである例のアレで知った「Niconico☆Moonlight」, DJM関連をあさっていた時に知った「平成ヒットチャート!」など, この時聴いたニコニコメドレーはどれも忘れられないものばかりだ。
そんな風に思いながら, ニコメド界隈のTwitterを遠くからチラ見したり, 情報を探しまくったりしているうちに, 4月になる。
情報を集めていると, 向坂氏主催で「オンライン飲み会」なるものが開催されるそうだ。
いつもならこういう企画には参加しない。
だが, 自分はすごく興味が湧いていた。
どうせ自分が参加しなくともしようとも変わらない。
それなら参加してみてもいいかもしれない…。
TwiPlaに書き込んだ。ドキドキが止まらなかった。
そして今に至る。
6.これから
今回の記事投稿祭で, ぽんすけ氏がこの記事を投稿している。(読んでね♡)
My Niconicomedley Life ~ぽんすけのニコメド歴~ 【ニコメド記事投稿祭】 - MusicGamerMedleyCluster
どうやら氏も同じ時期にリクエストを送ったことがあるらしく, 確認のため一度Vol.11のリクエスト会場に向かった。
リクエストしていたユーザー名を見て驚愕した。
「まじか。知ってる名前しかおらんわ。」
⇒【使用した曲】ニコニコ∞アセンブルVol.11【検索補助】:FullKenのブログ - ブロマガ
当時と今で, 名前を知ってるニコメド界隈の人も増えた。
当時は気付かなかった人でも, 今見てみると気付くことがあるんだな…そうおもった。
最近, 私は急にニコニコメドレー界隈に関わらせてもらっている。ありがたく, なんだか(ロクに制作活動もしてないのに)申し訳ない気分でもある。
それでも, こういった記事投稿祭, オンライン飲み会など, とても楽しく参加することができた。この場を借りて, 主催や他の参加者にも感謝申し上げる。
ありがとうございます!!!!!
これから, 私は再び岩に隠れるかもしれない。が, 定期的にニコメドをつくったり, 企画や合作があったら参加してみたい。
繰り返しになるが, 全ての参加者に感謝を。
おしまい
【追記】
当時の状況を思いつく限り追記していく。
記事を公開してもいないのに追記とは?
まあよいのだ。
2015年頃
実際には作者を知らなかっただけで, 聴いていたメドレーはいくつかある。
記憶に残っているのはニコニコ100やNiconico BlowJobくらいしかないが…。どちらも同じ作者なのは奇遇だろうか。
2016年頃
個人的にあのような雰囲気が醸成されたのは大半が淫夢厨の所為であると思っている。その流れから, 私は今でも淫夢およびなんJコンテンツが大嫌いである。(面白いし高い技術をもつコンテンツであることは認識している)
「草」という単語ですら世の中に広まることを快く思っていなかったりする。
全国の一般層に広まった今ではもう手遅れだが。(ネットに疎しい友人ですら知ってるってどーゆーことだよ)
追記:淫夢のコンテンツに関わってるからその人が嫌い…というわけではないです。
むしろ好きな人もいます。
わがままな話ですが, まぁ後遺症のようなものだとお考え下さいませ。
2017年頃
ニコメドからは確かに離れていたが, friends.nicoなどを通じてニコニコ動画の情報は追っていた。
ちなみに, FullKen氏を知ったのはちょうど組曲10周年の頃である。